エッセイ「閑土里西部譚 フィリピン一人旅」 Vol.2

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スービック海軍基地(1993)
 
  Subic Bayにあるオロンガポ市の米軍キャンプには「Subic」と「Cubi」に分かれ、「China sea」、「Sampaguita」、「CPO?club」に「Sky club」、「Acey Ducey」、「Cubi Officers」、そして「San Miguel」etc.のクラブがある。どのクラブもバカでかく、GI達でいっぱいで、岩国、三沢、横田、横須賀etc. の米軍キャンプの比ではない。夕方6時過ぎ、サブマネージャーのリックが迎えに来る。何しろ初日だし忘れ物はないか慎重に。ブルージーンはやめて、バリッと背広姿に身を変えて、日本人として恥じないように。こうした一寸した心遣いがステージにかなり影響するものである。初っぱなは「hinasea」というEMクラブ(兵隊でも下っぱ級)だから客層が若いし、ビートのきいたカントリーロックが好きなので、僕としては、(下士官、将校クラブの方が好き)やりにくい場所である。でも当たって砕けろでやってみなければ判らない。楽屋に入るとフィリピンのバンドの連中が沢山いて、視線が一斉に向けられる。全く嫌な一瞬である。こんなところに10日以上いるとなると、すぐにでも逃げ出したくなる。外国に慣れている僕でもこうだから、まして初めてだったらどうなんだろう・・・と心の中で思いながら「ハーイ!」と彼等に少しオーバー気味に手を挙げて思わずニッコリすると、中から「コンニチハ」とへんな日本語が返ってきた瞬間、「溺れる者はワラをもつかむ」の諺どおり安心感というか、助かった!そんな気持ちが心に安らぎを、そして冷静さを与えてくれたのです。彼等はとてもフレンドリィで次々に握手を求めて来ました。5弦バンジョーが珍しいのか、そばに寄って来ていろいろと話かけて来て離れようとはしない。音叉(鋼鉄で作ったU字形の調音道具)を耳に当ててチューニングしていると、「それは何ですか?」と不思議そうに見ている。そうして交互に面白がって耳に当てている、まるで子供のように。こんな雰囲気に気持ちもすぐれ、調子に乗ってか、SHOWはアンコール、アンコール、アンコール……、汗でグチャグチャになった僕も疲れを忘れて皆の拍手に応えていたのをマネージャーの秦氏から聞かされ、あの時の嬉しさを改めて思い出すのである。
 
ShowBusinessも3〜4日すると大分慣れ、暇をみては、ローランドやリックに連れられて、ドライブやショッピングにあちこちと出掛けるようになった。こちらのお金はセンタボス(硬貨)とペソ(紙幣、但し1ペソは硬貨もある)で、1ペソ(100センタボス)は約44円25銭くらい。 ホテルのメイドの給料が100ペソというから、日本の10分の1程度か、従って物価が安いのは当然です。タクシーは、初め9円弱で4円50銭づつ上がり、100円もあれば大分乗れます。他にジープニィ(Jeepney)といってジーブを改造して作った相乗りタクシー(10?12人乗り)、どこでも自由に乗り降りが出来て、料金は7円弱。七夕飾りのように、色鮮やかなヒラヒラを靡かせ走っている。その数の多いのにも驚く。まるで何かのパレードのように。その美しさについ見とれ、時間の経つのを忘れる事しばしばです。1人でも多くの客を得るための商魂逞しさから、あのようになったそうです。それにトライ・サイクル(Tri?cyc1e)、オートバイの横に客を乗せて走るサイドカー等の乗り物で、道路はひしめき合っています。日本のように車検はなく、車は動けばよいのです。強制賠償保険もないので轢かれ損。だから歩く時はいつも慎重でした。フィリピンはよくひったくりがあって、それを追いかけて射殺されたなんて聞いていたので、ここに来てからとても不安でしたが、戒厳令(0時?4時迄外出禁止)のお陰で、ピストルなどの凶器類は一切所持厳禁、だからその点かえって安心でした。貝殻製品、木工品のおみやげ店がやたら多くあって、テーブル、椅子、柱など日本のデパートなどでよく見掛ける木で作ったサラダやフルーツの皿、バカでかいスプーン、フォークetc.その値段の安さには、又々びっくりです。できるものなら全部買って来たかった程。ウインドウショッピングだけでも楽しい毎日でした。

  オロンガポの町にはホテル、マーケット、ゴーゴークラブ等沢山あるが、どこでも恰好いいガードマンが入口に立っています。そしてやたら道端にボサッとつっ立っている人がやけに目立つ、何もすることなしに。Lazy所謂ナマケモノなのである。夜になるとますますそのナマケモノが集まってくる。子供も夜遅く迄遊んでいるので、学校でさぞ眠いだろうと尋ねたら、こちらは義務教育がないので、学校は行っても行かなくても自由だそうで、何と羨ましいといううか、とても信じられない事である。
僕のいたロイヤル・アドミラルホテルにALEXという年配のガードマンがいて、僕がいつも仕事を終えてロビーでビールを飲んでいると必ずやってきて日本の話に耳を傾けている。彼が「オイコラ! ノコルジャナイカ」と変な日本語で言うので、初めは何だかチンプンカンプンだったが、彼は戦時中の行軍の時その列から遅れる者があると日本兵に「オイコラ!早くいけ、お前残るじゃないか!」と怒鳴り続けられたので、28年経った今でもその言葉を覚えていたそうで、それがやっと判り大笑い。それ以来彼に会う度に「ノコルジャナイカ」が挨拶になってしまった。 Showも日が経つにつれて調子に乗り、あちこちに友達もできて10日間もあっという間に過ぎてしまい、サヨナラショウではなんと1時間45分も熱演してしまった。そしてローメンのバンドグループやらエージェントの人達と朝まで飲み明かし、再会を約束してオロンガポを後にした。

つづく.....


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【閑土里西部譚 フィリピン一人旅」 Vol.1】
【閑土里西部譚 フィリピン一人旅」 Vol.2】
【閑土里西部譚 フィリピン一人旅」 Vol.3】
【閑土里西部譚 フィリピン一人旅」 Vol.4】