大野義夫音楽史<History>
  
1931(昭和6)年9月9日、東京都杉並区に生まれる。

  ハワイアンの故・山口銀次さんの親友だった兄から教わったウクレレ(その影響を受けてバンジョーの弾き方もいまだに銀ちゃんスタイル)から、やがて自作自演のスティールギター(師匠は大塚竜男氏)で中学の頃、ハワイアンバンドを作り、あちこちのお祭りの演芸会で小遣い稼ぎをしていた。
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  1951.5.11  左 大野義夫 前列左 故・原田実氏  

  ふとした事から「ウエスタンのスティールギターをやってみないか?」と誘われるままに行ったのが、新橋の土橋の角(現在の博品館劇場)にあったR.A.A.ビアホール(進駐軍専用)だった。それは1951年5月11日、この日から故原田実さん(後のワゴンマスターズの名スティールギタープレイヤー)との付き合いが始まる。フランキー・プラウ・ボーイズというバンドで、椅子に座って6本弦(現在は10本弦)のスティールギターを膝に乗せて、6寸半のスピーカーひとつの小さなアンプで彼はものの見事に弾いていた。彼(故・原田実氏)のケツをかくつもりで入ったのだが、彼の素晴らしいテクニックと華やかさにはとてもかなわないと思い、その日からスティールギターをやめ、歌に専念する事となった。

  ヨーデルとの出会いは1枚のEPレコードだった。その頃は今と違ってアメリカなどの海外のレコードが自由に買える時代ではなかったので、ラジオ関東(現在のラジオ日本)に勤務していた妹・万里子のペンフレンド(アメリカ人)に頼んで、エルトン・ブリットの2枚組のEPレコードをセットで送ってもらった。何ヶ月もかかって手に入れたレコードを、何度となく繰り返し聴いているうちに、ヨーデルにも言葉がある事に気が付き、何とか聴き取ろうと45回転を33回転に落とし、ゆっくりとしたスピードの中で「レイレイ‥‥」、「レイキヨ‥‥」、「レイホー‥‥」等の言葉を聴き取って紙に書き、来る日も来る日も一生懸命に練習し、今のヨーデルの基本となる礎を作り上げ、それまでのカントリーにヨーデルが加わり、歌のレパートリーの幅も広がった。

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  法政ウエスタン・ジョリボーイズ
右から4人目大野義夫
 
??  その後、法政大学先輩の高橋正臣氏(フィドル)にトレードされ、1952年4月法政大学に入学と同時に日本の大学では初めてのウエスタンバンド「ウエスタンジョリーボーイズ」を結成(当時、青山学院大学の故・ジミー時田氏が一緒)。六大学音楽リーグ戦で活躍、カントリーレンジャーズ(窪田幸雄、岩倉忠)から、マウンテン・ボーイズ(多田正幸、ミッキー・カーチス、新井利昌、故・住吉尚、清水一夫、斉藤任弘)、そしてサンズ・オブ・ドリフターズ(岸部清、山下敬二郎、故・坂本九、故・井上ひろし、桜井輝夫、小野ヤスシ…、このバンドは後のいかりや長介とザ・ドリフターズになる)の時に、故・小坂一也とワゴンマスターズから堀威夫とスイングウエスト(寺本圭一、大森俊雄、田辺昭知、新井利昌、植田嘉靖、山名義三、清野太郎、守屋浩、佐川満男、清原タケシ、岸本圭司、湯原昌幸)に発足(1932年3月31日)と同時に参加。

  当時、日本中をロカビリーの嵐が吹きまくり、そのブームに乗り1958年第1回「日劇ウエスタン・カーニバル」に出演し、堀威夫とスイングウエストが第1回目のトップステージを飾り、以後最多出場を記録した。ロカビリーはますます盛んになり、ジャズ喫茶も全盛の時代で銀座にはテネシー、ACB、ニュー美松、渋谷にはキーボート、マリンバ、池袋にはドラム、キサス、新宿にはACB、スワン、ラ・セーヌ等があり、連日超満員で昼夜各5回のステージを掛け持ちし、寝る暇もないほどの忙しさだった。

  1959年、堀威夫氏の紹介で知合ったジョン・ベスパーさんの厚意で、オーストラリア〜ハワイ〜アメリカへ、歌とバンジョーの勉強の為に1年間留学。オーストラリアではバンジョーの基礎を学び、アメリカに渡ってバンジョーの名士アール・スクラッグスに師事し、5弦バンジョーの腕を磨く。詳しくはエッセイへ→

 
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  グランド・オール・オープリー」に東洋人として初めて出演  
? 1960年5月7日(土)、アメリカ。テネシー州の首都ナッシュビルで開催される世界最大のカントリー&ウエスタンの登竜門「グランド・オール・オープリー」に東洋人として初めて出演し、レスター・フラット&アール・スクラッグスのフォギー・マウンテン・ボーイズと共に『コロンブス・スタッケード・ブルース』を歌う。小さい東洋人の熱唱に3,000人を超す観衆が大喝采!  アンコールの声と拍手が鳴り止まず、再びステージへ登場。大歓声の中、ヨーデルのパートを再度熱唱、いつまでも観衆の拍手が鳴り止まなかった。その後、初めの予定にはなかったセカンドステージにも出演が決定し、『アルパイン・ミルクマン』を歌って、再び大喝采を浴びる。

  帰国後、独立し東理夫氏とトリオを組み、後に平尾勇氏と再びトリオを組んで日本国内各地の米軍キャンプを廻り、また沖縄(当時はアメリカの占領下)、グァム、フィリピン等の海外のキャンプ地にも出掛けていった。そして初代カントリー・メイツを結成(石田新太郎、坂本孝昭、林ゆたか、名倉あきら、ボビー岡本、田中鐘太郎、藤本精一、吉村りゅう)して、故・ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ(いかりや長介、寺内タケシ、ジャイアント吉田、宮城久弥、藤井三雄)と一緒に全国の労音のコンサートを廻り、後にトミー藤山とコンビを組み、また坂本しげみともコンビを組んでヨーデルのショーを全国各地で開催した。

  その後、原田実氏と共にバンド(宮城久弥、トニー中村)を結成。ライブハウス、クラブ、コンサート等で活躍。

  最近は新しいカントリー・メイツ(藤井三雄、竹中祐史(故)、伊藤公子、志水豪)でカントリーはもちろん5弦バンジョーを駆使し、ヨーデル、ハワイアン、デキシーランドジャズ等、幅広いレパートリーでライブハウス、コンサート、ホテルのディナーショー等のステージで活躍中。昔ながらのカントリー・ミュージックを大切に歌う一方で、ここ数年はアメリカから入ってくる新しいカントリーにも意欲的に取り組んでいる。

  アメリカのビルボード誌(週刊)のカントリー・ヒット・トップ100のランキングには欠かさず目を通し、AFNの「アメリカン・カントリー・カウントダウンTPO40」を必ずテープに録音し、暇を見つけては繰り返し聞いている。

  最近ではジョージ・ストレイト、ガース・ブルックス、アラン・ジャクソン、ブルックス&ダン、ジョン・アンダーソン、ジョン・マイケル・モンゴメリー等のヒット曲を好んで歌っている。

  1994年々頭より喉の調子が悪く、思うようにヨーデルが歌えず、診断の結果、声帯ポリープが発見され、5月31日に切除手術を受ける。術後2週間の筆談を経て、徐々に会話〜発声練習を出来るまでに回復。一時は「もう歌う事が出来ないのではないか?」という不安も多少あったので、声が出た時、歌う事が出来た時、そして何より以前のような滑らかなヨーデルが出た時には「ホッ」とすると同時に、言葉では言い表す事の出来ない幸せを感じた。

  仕事の上でご迷惑をかけた方々や、心配をして一日も早い復帰を願って待っていてくれたファンの皆様に、良い歌を長く聞いていただくために、健康に注意し、また喉のケアを忘れずに歌って行こうと改めて決心した年であった。

  「初心忘るべからず」と「芸人は行く先々の水にあわねば・・・・」を歌手生活の座右の銘として、日々努力、精進しています。



大野義夫の歩んだカントリーバンド歴
50年の足跡


フランキープラウボーイズ
「1951年5月11日(S26年) 
滝本、福田、中島、片倉 肇、三上泰男、高橋成宣、高橋正臣、(故・原田 実)


法政ウエスタンジョリーボーイズ
(1952年4月〜2年間)
1954年4月からカントリーレンジャーズにバンド名変更。
高橋正臣、弓田真喜男、仲村尚男、岡安俊雄、保坂幸男、山中利雄、岩倉忠夫、窪田幸雄、稲田耕作、中西信雄、鈴木基弘、加藤知弘、大月信夫、(故、南康夫)


マウンテンボーイズ(1952〜1955)
多田正幸、新井利昌、鈴木 修、宇山清太郎、三上泰男、沢田和雄、望月みち子、ミッキー・カーチス、清水一夫、平尾千鶴子、斉藤任弘、石原美江子、(故・住吉 敞)


サンズ オブ ドリフターズ(後のドリフターズ)
(1956年頃、マウンテンボーイズと東京ウエスタンボーイズが合併して出来たバンド)
岸部 清、多田正幸、新井利昌、鈴木 修、根本節夫、吉田 博、能勢 武、清水一夫、斉藤任弘、山下敬二郎、(故・坂本 九、故・井上ひろし)


堀 威夫とスイングウエスト(1957年3月31日〜)、
堀 威夫、大森俊雄、田邊昭知、河野保人、山崎一男、岩崎 洋、新井利昌、植田嘉靖、寺本圭一、山名義三、清野太郎、守屋 浩、佐川満男、清原タケシ、岸本圭司


1960年7月帰国後独立。カントリーメイツを結成。(1962年頃)

嘗てカントリーメイツに在籍していた方々  
東 理夫、鶴巻秀樹、平尾 勇、伊藤 誠、ナンシー(コニー)中村、福田ヒロ子、下高原 学、神田 律、手塚しげはる、名倉 章、石田新太郎、坂本孝昭、ボビー岡本、田中鐘太郎、橋本敏三、ビル西井、柳原隆一、ナンシー本田、碓井秀和、田中庸子、石黒 怜、大田 収、大野ゆかり、最上百世、ハンク和田、吉村 隆、稲田安彦、坂本しげみ、トニー中村、片山さとし、三浦裕史、工藤忠昭、サリー越中、藤本精一、宮城久弥、野口武義、小寺 八、(故・吉野五郎、故・原田 実、故・加勢沢道雄)、志水 豪、 岡村明良、古賀いわお


現在のメンバー   
藤井三雄、伊藤公子、金丸秀人、石黒怜、鈴木庸祐、小野塚範夫、

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