エッセイ「閑土里西部譚 韓国一人旅」 Vol.2

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梨花女子大学校

 僕の宿泊しているホテルの隣の一室を事務所代わりに使用しているので人の出入りが激しい。その度にいろいろ関係者、知人を紹介される。覚えたての韓国語で「チョウン ペキェ スミダ、チャール プタ ハンミダ」(はじめましてよろしく)と慣れない口調で挨拶する。これが愛嬌あってか相手もニッコリして親しみがわくようである。  何しろ同名が多いのには困った。特に金、李さんが殆どで4人とも金さんだったりして。だから名を覚えるのに一苦労した。デブの金さん、メガネの金さん、ノッポの金さん、遠山の金さん…… とまあこんな具合にチェックして覚えておかないとごっちゃになってしまう。
  1に金さん、2に李さん、3に朴さん、4に崔さんと順位が決まってるなんて。日本にも田中、佐藤、鈴木、高橋と多いがどれが1位か2位かなんて見当もつかない  さて、タクシーは2qまで100円(160ウオン)、500m毎に18円75銭(30ウオン)と本当に安い。待ちメーター、深夜割増しなんてない。日本では600円乗るのはあっと言う間だが、こちらではかなり乗れる。だから乗用車の必要性は会社関係か余程の金持ち以外にはないでしょう。車は贅沢品だから輸入税100%とか。だから日本で150万円のが300万円にもなってしまう。車検がないのでポンコツでも走れば乗れる。Mr.金と乗ったタクシーがかなり古いので、「この車、日本ではスクラップで5,OOO円だよ」と言ったらびっくりして前の座席にいた友達にすぐその事を告げた。その話を聞いた運転手が変な顔をして苦笑い。「冗談じゃない。日本ではポンコツでもこっちでは10万円もするんだ。立派な車だぞ」と言わんばかりに。
 日本ではやれモデルチェンジ、新車とその向上は素晴らしいが、反面、物資をいつまでも大切にする心がけを忘れた日本人こそ一考の必要があるのではなかろうか。
 4月12日、YODEL&WESTERN SHOW、その日はついにやってきた。場所は梨花女子大講堂、約2,000人席のある大ホールである。午後3時、7時の昼夜2回の公演で、その前日「あすは7時起床で8時からリハーサルです」と言われびっくり!夜更かしの強い僕にとっては6時、7時は「さあこれから寝るか」なんて、そんな時間でもある。そこで何とか頼み込んで1時間遅らせてもらう。だがそんな時に限ってどうも気になって眠れないもんだ。
 ジョン・ウェインによく似たマネージャーのMr. 李に8時大分過ぎて起こされる。「もう皆出掛けました。2人きりです」と言われ、「無理をしてでも1時間早く起きて行くべきだった」と幾分後悔しながら急ぎ会場へと向かった。
 リハーサルは予定より大分遅れていて、僕の番には大分間があってホッとする。通し稽古は昼食後から本格的に始まった。時間が気になったが開演は15分遅れでスタートした。客席は80%埋り関係はホッとした様子だった。
 第一部は「金弘徹リサイタル」MCの紹介が終わると、華々しくオーケストラが一斉に奏でる中をMr. 金は、新調したばかりの黒のスーツに金色で縁取りしたアルパインスタイルのユニホームがライトを受けて一段と映える。女性コーラスが加わり、彼微笑み、そして唄う。『Do you have a song in mind?』 『Mir sind mit den Veloda』 『Song of Love』、中でも『Vo Lu-zevn auf Weggis Zue』この曲は、『ルツィアンからヴェギネスヘ』という古いスイスの民謡ですが、一寸プレスリーの『Love me tender』に似た感じの曲で前に僕も覚えて唄った事があった。懐かしさも加わって一緒に口ずさんでしまった素晴らしいヨーデルソングだった。最後の少年少女とからんでの曲、題名は忘れたが、又ワンダフル! 僕のヨーデルとは全く違ったフィーリングがありとても楽しく、舞台の袖で感慨に浸っていた。

第二部は“YOSHIO OHN0 0N STAGE”とタイトルがばかに恰好いい。だから僕としてもやる気十分になる。この日のために日本で新調したスパンコールのキラキラ光るウグイス色の艶やかなユニホームを着用し、舞台にセットされた10数段の階段の上にスタンバイする。やがてベルがなり終わると『Ding Dong Polka』の華やかな演奏がファーストナンバーを飾る。真っ暗なステージにスポットライトがさっと雲を割って降り注ぐ陽光のように落ちる瞬間、思わず「やるぞ!」と武者震いをした。初めて訪れた国でのそれは口には言えぬ緊張感と闘志であった。それは歌手として僕の最高の喜びの一瞬でもあった。  『Cattle call』、『Just because』等ヨーデル曲が続き、僕の持ち時間もあっと言う間に終わってしまった。バンジョーをこちらではベンジョーと発音するのには驚いたが、「日本ではベンジョーは便所という意味です」と言うと会場に大爆笑が起きた。米軍キャンプのショウでは「ジス イズ ベンジョウ」これが受けるが、まさか韓国も同じとは、自分でもおかしくて我慢できず笑ってしまった。途中、覚えたての韓国語を入れてのおしゃべり、そのたどたどしさが反って受けてかマイペースに乗る事が出来た。  第三部はゲストコーナー。そしてラストの第四部は、僕と金弘徹の合同ショウである。バンジョーを背に乗せての後弾きなどフロアショウの時と同じように、ジェスチャーもハデに動き回っての曲弾きに、面白いのか、驚いたのか拍手が盛んに送られた。アンコールで金氏が『スイスの娘』を日本語で、僕が韓国語断「チョアルブスエココワガシ スイスガシ……」と唄うともう大変。覚えるのに一苦労したが、その甲斐があった。もう嬉しくて金氏と肩を抱き合って、最後の幕が下りるのも判らなかった程でした。
 ヨーデルコンサートが終わってホッとしたせいか、その疲れも出てその夜はぐっすり眠る事が出来た。そんな時は目覚めも良く、朝食がとてもうまい。いつもは海外の仕事が終わった翌日に帰らなければならなかったけれど、今回は3日間の休暇が取れた。のんびり出来ると思っていたが、昼は名所めぐりにショッピング、夜は招待からパーティにと引っ張り出され、のんびりどころか……それはもう大変!
 韓国のギターメーカ一“ユウジン(YOUGIN)”に招待され、初期の頃からニューモデルまでいろいろと詳しく、その行程・過程を社長自ら工場内を歩いて説明してくれたのには感激した。帰りにはキングストンモデルのギターを記念に貰いとても嬉しかった。
 何処へ行っても朝鮮料理攻めには恐れ入ったが、こんな時でもないと思いっきり食べられないし、日本のそれとは大分違うので、我慢というより、むしろ喜んでそれに挑戦した。家庭で食べるのと店頭で食べるのではこれ又違う。戒厳令のぎりぎりの11時頃、夜中に腹が減っては、とホテルの裏の場末の焼肉店での味が、これ又格別で、ホテルの朝食より安くてバカうまなので、こっそり食べに行ったものだ。
 一流のホテルには、ハウスバンドが戒厳令で帰れぬ客のために朝迄演奏をしている。僕も一晩連れて行かれたが、眠くなっても帰れず、仕方なく踊るはめになった。これが日本だったら朝帰りが公然となり、正に紳士諸君には好都合な事この上ない。  何しろ海産物がやたら安く、海苔などは10帖450円からある。行く時にズボン2本(6万円)新調して行ったが、韓国ではオーダーで、背広上下3万円程度で出来るそうだ。何もわざわざ作って行く事もなかったのに。
 帰りには、彼等から贈られた3万円(?)のスーツを着て、Mr. 金、他大勢のスタッフに見送られ、金浦空港を後にした。  完

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