エッセイ「閑土里西部譚 グアム島一人旅」 Vol.1
1974年(昭和49年)4月3日から一週間の予定でグアム島の米軍基地にあるクラブのショーに出演のため羽田空港を旅立ったのは2日の午前10時15分。そして3時間20分後(時差は1時間)の午後2時35分グアム国際空港に。タラップに出るとややむっとするが思った程ではない。過去において45年8月、46年8月、47年8月と3回とも8月ばかり、7月〜11月は雨期にあたるので、暑熱と湿度でむし暑くまいったものです。とはいっても1年中の平均気温は26℃と言うから日本の夏のように30度以上なんて事はない。グアムの人が8月から9月に欠けて日本に行ったことがあるが、あまりの暑さに早く涼しいグアムに帰りたかったと皆で大笑いしたけれど、いやはやなんともオカシナ話である。今回は乾期(12月〜5月)だったのでサラッとしていて暑さなどさほど感じなかった。JALとPANAMがやや同時刻に到着のため移民局の手続き通過に40分くらい係り一寸イライラ気味。
殆んどが日本人のハネムーンカップルか団体さんで、十数台の観光バスに彼らはつめられてドンドン運ばれていく。まるで日本みたいだ。ここにも日本人がこんなに、日本あってのグアム島だ、そんなおかしな印象が僕には感じられた。ある外人曰く「Japanese people everywhere」まさにその通りだ。税関と通って8個の荷物をようやく外へ運び出したが、迎えが一向に現われない。何とか電話をとさがしたが、日本のように赤電話があちこちにあるわけでなし、荷物がたくさんあるし、やたらと動けない。何人とも分からぬ人種がウロウロしている。バンジョーでも盗まれたら一大事だ。やっと見つけた電話、たった1台とは、いくら回してもウンともスンとも出ない。グアムでは電話はタダ。それだけに通じたり通じなかったり故障も多いそうで、何しろタダでは文句のつけようがないからいい気なものである。一人旅とは全く大変だとあの時ほど思ったことはなかった。
グアム島は東京から2400km、南西太平洋の大海原の中に位置し、南北約48km、東西7〜13km、面積543.8?で、大きさはほぼ日本の淡路島に匹敵する。南国の強い太陽の日差しをいっぱいに浴びた緑のジャングルと波間にきらめくサンゴ礁の美しさはトロピカルムードを一層強く感じさせられる。
さて、空港で1時間以上も待ちぼうけをくい、なんとも落ち着かず途方にくれていると、スピーカーで「ヨシオ・オーノ・・・」と僕の名を呼んでいるではないか、ワラをもつかむそんな気持ちでホッと一息。そして無事に島のほぼ中央にある空港から約30分、アガナ市街をぬけ、アプラの軍港から少しいったアプラハイツ近くのBCQホテルへ到着。周りには家はなく青い海とヤシの葉茂るブッシュだけ、騒音雑踏の東京に住む僕にはあまりの静けさで、反って気味が悪い。窓辺で鳥の鳴き声がきこえるので、そっと行ってみると目の前になんとゲコ(ヤモリ、薄茶色)で、小さな舌をペロペロ出して、こちらを見ながらチュッチュッとないているではないか。一瞬ドキッとするが、よくよく見ると黒い目がギョロッとしてあどけなくかわいい、大きさは3〜5p位で人間には害を加えないし、おとなしいと言うのでつかまえようとすると一目散で逃げていく。こんなエピソードがある。ある女性がトイレの上フタを上げたら、そこに大きなゲコが2匹ラブシーン中、「キャーッ!」の大声に驚いたのはゲコの方で、その女性に飛びついたからたまらない。ぬぎかけたツンパをそのままに外へとびだした。すはストリーキングと大騒ぎになったが、その後女性用トイレにゲコが沢山出没して手をやいているそうだ。何はともあれその夜はOFFだったので、マネジャーのフレディに連れられて外人ショー(インド系、オーストラリア人のポピュラーシンガー)のラストステージを見に行く。毎週水曜日から火曜日までの1週間でショーチェンジがある。つまり明日からその彼に代わって僕のショーがスタートする。なんとなく落ち着かぬその夜であった。
さて、きょう(4月3日)午後2時からリハーサル、ついてる事にバンドは池端トリオ(ベースはリーダーの池端君、ドラムは裴天外、オルガンとエレキ瀬戸一彦)の日本人グループ、だからうちあわせもスムーズ、空気の良いせいか声も思うようにヨーデル、全て言うことなし、彼らはこの5ヶ月間外人タレントばかりで、日本人タレントは初めてとかで懐かしさもあって意気投合、40数曲もあっという間に終わりマウンテンデューでカンパイ。
マウンテンデューと言ってもワインにあらず、日本には発売されてはないが、サイダーに似たアルコール分ゼロの飲料水。
何しろ1時間、もしくはそれ以上のShowなので、疲れるがそれだけにやりがいがあるわけである。日本程ではないがこちらも米軍のクラブがだんだん少なくなっている。初めての時(45年)は週に21回ショー、つまり毎晩3回、このときは疲れてもうガクガク、二度と来るまいと思ったほど。2回目(46年)は18回、このまえ(47年)が14回、今回は11回、この調子だと次回は7回ねとマネジャーに言ったら
“Never! Next time maybe 30 shows “と逆におどかされてギャフン! 初日はPump Room (将校クラブ)の1回ショーだけ。三回はやらされると思っていたので、その分だけ張り切りすぎて気がついたら1時間20分はアッという間、アンコールも5、6回とまずは上出来、仕事の後のビールのこれまたうまい事忘れられないね。
グアムは一日ない位階となく強烈なスコールがやってくる。日本人だったらソレッと折り畳みの傘をサッとさすところだが、こちらの人はなれているのか呑気なのか、ぜんぜん気にしないしあわてもしない。5分もたてば又カラッと青空になる。ドライヴしていると必ず1度はスコールに見舞われる。せっかく車を綺麗に洗ったのにもうっ!と怒っても話にならない。
夜中、帰る途中の路上に何かピョンピョンはねている、ガマガエルである。雨が降った後特に多いそうだ。こちらの人は日本のコマーシャルをよく知っていて、あれは何かと尋ねたら「オーッ!ケロヨンね」だって、いやあ、マイッタマイッタ。
次へ
|