エッセイ「閑土里西部譚 フィリピン一人旅」 Vol.4

  再度オロンガボを訪ねて
 何しろ人件費が安いのでやたらと従業員がいる。6階建でのこのプラザホテルはこの町では最高級である。玄関には常時2?3人のボーイが立っている。エレベーターにもボーイが24時間サービスである。各階の出入口のデスクに必ず1人座っているが、真夜中でも薄暗い中でつまらなそうに、時たまウトウトしている。どうも気になるので尋ねたら客の出入り時間をいちいち明確にチェックしているとのこと。そのノートを見せてもらってビックリ。僕の名前がやたらに書いてある。その筋からの命令で得に外国人はチェックをしているそうである。出入りの激しい僕は特にマークされているみたいで、深刻に尋ねたら大笑いされちゃって。TVの見過ぎかな?「スパイ大作戦!」の。
 日本と違って何でもチップをあげなければならない。部屋に掃除に来るボーイにハンニャの付いたキーホルダーをあげた。珍しがってその喜びようは大変なもので、シャツの第2ボタンの穴にぶらさげて得意になって帰って行った。その翌日は違うボーイで彼にもそれをあげた。3日目また別のボーイがやって来たが、あまりあげると無くなるのでお金をあげようとしたら、首を横に振って「ハンニャが欲しい」と言う。仕方なく彼にもあげる。とたんに顔がエビス様のようにほころびる。結局9日間いる間、毎日違ったボーイが現れハンニャを全部あげた、というより取られてしまった感じだ。何しろボーイときたら玄関、フロント、エレベーター、レストランとその数はあまりにも多い。到底皆にあげる事は不可能だが、しかし、彼等は僕がまだ持っているのではないかとしつこく食い下がる。だから帰る頃には逃げ回るのに一苦労でした。
 それにしても我々日本人に失われかけた人間本来の無邪気さを当地に来て甦らせられた感である。
 
  オロンガポの町での最後の日には午後からマネージャーのリックに連れられて買い物に出掛けた。2年前に来た時、皆にジロジロ見られ恥ずかしくて一人で中に入れなかった生鮮市場に何としても行きたくて、初めてそこに立ち寄ることにした。戦後の闇市を思わせるバラック建ての市場は汚いといおうか、気持ちが悪いといおうか、異種独特で、臭覚たるやこれまたグンバツこの上無い。ジロジロと寄って見られ、何しろ落ち着いていられない。だかりゆっくり立ち止まれない。「どうしようかな」といった、そんな感じの早さで歩かなくてはならないのだ。カメラのストロボをたいた。まあどうだろうか。周囲の人の視線が一斉に僕に集中する。びっくりしたのは僕の方で、一寸あせった感じ。ロケーションでもしているかのように見られたのか。後をついて来るのもいる。ただ写真を撮っただけなのに。
 日本のように、肉屋、魚屋、八百屋等の店は通りにはなく、スーパーマーケットでもその数は少ないので、夕方になると主婦たちは安くて種類豊富なこの市場にやって来るそうだ。肉などは沢山ぶら下がっていて、客が来ると大きな包丁で切り取っているのが日本の肉屋と感じが全然違って、何しろ肉屋としてイメージがわかない。魚なども皿の上ではなく、台の上に並べてあるのを「これいくら」と値切って買う。だから人によって値段は様々だ。果物でも値段が書いてないのでいちいち聞かなくてはならない。僕が聞くのとリックが聞くのでは値にかなり差がでる。外国人だと値をふっかけてくるのだ。だから一人では出歩かない事にしていた。  見た目ばかり美しく、着色したりツヤ出ししたり。包装にしろ容器にしろ中身より外観だけにこだわる日本人よりも、包装はすべて古新聞、飾り気のない、質素でざっくばらんな彼等の方が利口かもしれない。

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オロンガボ 水牛の居る風景

 オロンガポでの一週間のショウビジネスもまたたく間に終わり、残すは数十キロ離れた、クラーク空軍基地の1日だけとなった。友達もだいぶできたし、もう2?3日いたいところだが、そうもいかず、16日午後2時、大勢の人達に見送られ惜別する。途中、日本では見られない異国情緒を楽しみながら。 サトウキビ畑がやたらと多い。その丈2?3mはゆうにある。洪水に備えてか床下の高い家が目につく。時々、水牛が道の真ん中をゆうゆうと歩いている。何とものどかな感じである。日暮れ時、目的地のクラークに到着。椰子の葉茂る南国の夕陽は特に素晴らしかった。
 いよいよ大詰め。これがラストショウと思うとやる気十分、全力投球でやってやろうと。ショウが始まって驚いた。やたら日本語の掛け声がかかるので、「誰か日本に行った事ありますか」と聞けば「ヨコスカ、イワクニ、ヨコタ、サセボ」とヤイヤイ声がかかる。スキヤキソング(上を向いて歩こう)を唄ったらこれがバカ受け。とても信じられない。米軍人と結婚した日本人の奥さんグルーブが数組いて、日本人の歌手が来るからと3ヵ月前から楽しみにしていたんだそうだ。「こんな辺鄙な所によく来てくれたわね」と大歓迎でした。そんなわけでショウはリクエスト中心で片っ端から日本の曲も取り混ぜて45分もアンコールして合計1時間45分も。やっている時は夢中だったけど、終わってホッとしたのかガックリでした。
 「戒厳令で4時頃までゲートを出られないから、それ迄私達の家に来てゆっくりして行きなさい。味噌汁、オシンコ食べたいでしょう」この一言に釣られてミセス・スズコ・ブロック宅へ。日本から送ってもらったりしているので、オカズは豊富。思わず生唾が出る。久し振りの日本食に舌鼓を打つ。名残は尽きないが、プレイ・メイツの連中とも固い握手を交わし、僕の車は一路マニラヘ向かった。   完

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