その夜は僕の歓迎パーティーが盛大に開かれ大勢の音楽家、ディレクター、歌手、etc
が集まり飲んだり話たり、だんだんムードも高まり、誰ともなくピアノに合わせて歌い踊りヴァイオリンのソロ、バレリーナの美しいダンスと続き、やがてカウボーイハットの良く似合うウエスタン歌手のReg
Linsay(レュグ・リンゼイ)が僕の為に「Desert Lullaby」(砂漠の子守唄、この曲はワルツで単調素朴なヨーデルで、今でも僕の大好きなレパートリーとして歌っています)をプレゼントして歌ってくれたのには感激しました。そのお礼に僕の唯一の隠し芸である「黒田節」を歌い、踊り大いに拍手喝采を受け、ではもう一曲と得意のヨーデルを歌い続け、夜の更けるのも忘れ、それは大変楽しい思い出深い一夜でした。
シドニーでのVACATIONも夢のように過ぎて、いよいよPhil Skinner Music Schoolの登校日である。Eppingからバスに乗って約40分ほど、Crows
Nest(カラスの巣)という名の町で4階建ての素晴らしい学院でした。週5日制で僕の通うパンジョー科には約40人位の生徒がいて、もちろん日本人は僕一人だけ。先生から皆に紹介され、何となく馴れない雰囲気にちょっと照れ気味の自分をどうする事もできなかったのを、今でもはっきり憶えています。 先生はなかなか親切でこの分なら大丈夫だろうとホッとする。久しぶりにパンジョーを手にしたので、嬉しくて体がムズムズするのを感じた。一日一日、一歩一歩練習に励もう、新しく買ったパンジョーは(米国製でTHE
WINDS OR PREMIER MODEL 2)ロングネックでフレットの間のポジションマークの模様がとても凝っていて恰好もいいし、とても気に入ってしまった。ピックを使わないシステムで、指も楽器になれないせいか痛いしオタマジャクシとのニラメッコで目がボーッとするし、初めの一週間は無我夢中でした。学校生活に馴れるに従ってだんだんクラスの人気者になった僕は、昼休みなど皆に囲まれて日本の唄、C&Wソング、ヨーデルなど歌ったりしてそれは楽しい毎日でした。お蔭様でホームシックなどにもならずにすみました。でもレッスンは日毎に難しくなり、帰ってから5〜6時間はPractisingしなくてはついていけず、それは死に物狂いでした。のほほんと過ごした大学の頃は本当に楽だったなぁ‥‥などと思い返す事しばしばでした。