エッセイ「閑土里西部譚 バンジョー片手に」 Vol.17
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フォギー・マウンテン・ボーイズとのステージ
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かくして、『世紀のステージ』は終わった。昨夜の興奮は起きてもなお収まらず、その後遺症はしばらく続いた。フォギー・マウンテン・ボーイズの仕事には、何処にでも付いて行った。バンドボーイでも良いから、いつも一緒にいたかった。演奏中、必ず僕はステージに引っ張り出され唄わされた。それが嬉しく、とても楽しかった。どんなに朝早い時でもぜんぜん苦にならない。朝寝坊の僕には不思議な程だった。予定としては彼等と一緒にチャタヌガヘ演奏旅行に行く事になっていたが、突然ベスパーさんの都合でキャンセルになり、もうガッカリ。フォギー・マウンテン・ボーイズの面々も、出発前にそれを聞いて、僕同様ガッカリした様子だった。バスが見えなくなる迄、僕はいつまでも手を振り続けた。その後、彼等のスポンサーである、マーサ・ホワイト・ミルスの支配人Mr. Stinson の計らいで、社長のMr. Cohew Willamsに招待され昼食を、ミセス・スクラッグス、ベスパーさんらと一緒に御馳走になる。そして、“オープリ” のテープを聴かされ、話は尽きない。別れ際に、“オープリ” のステージ写真(4ツ切大)を数十枚と貴重なそのオープンテープを社長から手渡された瞬間胸がジーンと熱くなるのを感じた。それから更にStinson氏に連れられて、コロムビア、デッカ、スターディ、etc. のレコード会社に行き、やたらと試聴盤をプレゼントされた。またたく間に100数枚にもなり、もうこれ以上は持ち帰れないので、惜しいと言うか、勿体ないというか、誠に残念ながら断らざるを得なかった。その点、ベスパーさんはPANAM航空勤務だったのでオーバーウエイトはいつもフリーで大助かりだった。
ナッシュビルでの素晴らしい日々も夢のように過ぎて、いよいよこの町とも別れの時がやって来た。10日間はあっと言う間である。その日の朝はいっもより早く7時に起床。眠くて仕方がないがそんな事言ってられない。荷造り、これがまた一苦労だ。約1時間かかってどうやらまとまった。腹もへったし、久し振りに朝食を、とホテルのレストランヘ行くと、『CANDY KISSES』でお馴染みのジョージ・モーガンに逢う。彼に「この曲は日本のカントリー・シンガーなら誰でも唄っているよ」と言ったら、一寸信じられないような顔をしていた。僕は咄嵯に「CANDY KISSES WRAPPED IN PAPER……」と唄い出すと、もうびっくりしている。僕がC&Wの道に入って一番最初に覚えた曲が何と同じくジョージ・モーガンのヒット曲『ROOMFULL OF ROSES』だったので、続いてその曲を唄い出したら、本当にびっくり仰天、有頂天、変な外人(日本人)と言わんばかりのアキレ顔。嬉しさを隠し切れない、そんな彼と意気投合。おまけに朝食まで御馳走になり、もうゴキゲン!もっと早く彼と知り合っていればよかったのに残念至極だ。
昼食後間もなく、フォギー・マウンテン・ボーイズの面々はアール・スクラッグス宅に集合した。今夜はチャタヌガヘ演奏旅行で、予定では僕も同行することになっていたが、ベスパーさんのスケジュールの都合で急遽駄目になりガックリ! レスター、アールをはじめ、フォギー・マウンテン・ボーイズの一人一人と固い握手を交わし、再会を約束して辛い別れを告げた。何しろ、今日がナッシュビル最後の日なのであちこちと別れの挨拶に行くだけでもうくたくたでした。
....つづく
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