エッセイ「閑土里西部譚 バンジョー片手に」 Vol.13

   日本の地下鉄のようにビルの屋上を走ったり、地面のすぐ下を走ってるようなのとはわけが違う。階段を降りて、また降りて、またまた降りて地下数メートル、これが本当の地下鉄である。エスカレーターはもちろんあるが、故障でもし歩く事になったら大変な事でしょう。地下鉄の電車に乗って驚いた。座席は竹で編んだ簡素なもの。クッションも何もないのであまり長く座っているとかえってケツが痛くなる。車体も古いのか何か薄汚い。電車もいつ洗ったのか、窓ガラスの汚れもひどい。その点銀座線などの地下鉄電車の明るさと緒麗さはグリーン車並でしょうな。
さて、ニューヨークのバカンスもあっと言う間に過ぎ、5月○日の丁度昼の12時発の特急グレイ・ハウンド・バス停へと急いだ。バス停といっても規模が違う。そのバカでかさに面食らった。これから丸一日乗るのだから、道中少しでも楽にと貸枕を売っている。1個25セントなり。抜け目ない商魂だ。僕も仕方なく腰と頭にと2個50セント支払う。バスは予定どおり一路栄光の都ナッシュビルヘと・・・・・・。ハイウェイを
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  グレイハウンドバス 
 
かなりのスピードで、数時間ノンストップ。故にトイレ付きである。あたりが薄暗くなる頃バスはようやく止った。夕食時間のせいか皆バスを降りていく。ふと見ると入り口が左右2つに分れ、ドアにカラーと書いてある。カラー即ち色、有色人種を意昧する。日本人は黄色だし、さてどっちにしようか。もう一度よく考えてみよう! 結局ベスパーさんに連れられて入ったのは、何も書いてない白人用の方だった。もし彼が黒人だったらカラーの方に行かねばならないでしょう。何だか複雑で嫌な気持ちだった。日本は人種差別がなく「いい国だなあ」とつくづく思った。 バスに戻ると枕がない。文句を言ったが、また買わされた。結局バスが止る度に払わされ、何ともばかばかしい話である。
ヴァージニア、ノックスビルを経て、丁度24時間後の昼過ぎ、テネシー州の首都ナッシュビルに到着した。乗り物好きの僕も、こうも長時間(丸一日なんて初めてだし)だと体の節々が痛くなって、いささか参った。やっと席から立上がり、ベスパーさんとバスのステップを降りると、そこには10年の知己の如く肩を抱き合って喜んでくれたアール・スクラッグス夫妻の心暖まるウエスタンムードー杯のグリーティングにすっかり感謝、感激、雨アラレ! 一瞬にして疲れも何処へやら、ふっ飛んでしまった。我々はひとまずWSM放送局横のクラークストン・ホテルに落ち着いた。ナッシュビルは思ったより大きな町で、十数階のビルもあって、さすが州の首都だけある。1925年(大正14年)以来「グランド・オール・オープリー」のウエスタン・ショウは毎週土曜日夜7:30〜12:00迄、今なお続いている。今ではその会場も郊外に移ったが、当時は市内にあって、レンガ造りの古ぼけた大きなライマン公会堂で催されていた。座席は3,574で、その中の1,384が指定席、指定といっても席と席の境はなく、一寸詰めれば何人でも座れそうだ。クッションもなく、下は木製のカントリー調のベンチスタイルである。 誰もいない堂内をスクラッグス氏の特別の計らいで案内される。当時は、ブレンダ・リー、エルヴィス・プレスリーがこの「オープリー」のステージで大いに観衆を沸かせてたそうだ。数日後、僕もこのステージで唄うのかと思うと急に怖くなり、背筋がブルッと震え、極度の緊張感に襲われたのも無理からぬ事かも知れない。

....つづく


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