エッセイ「閑土里西部譚 バンジョー片手に」 Vol.10

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左から Mrs.Dean Mr.Weeler(五弦バンジョーの先生) Mr.Vesper
大野義夫
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シアトル空港から雪のためかなりの時間を要したが、我々は無事8605 5Th N.E.
Seatt1eのMrs. Dean宅に着いた。一人で住んでいるには一寸大きすぎる感じの平屋のすてきなホームだった。元ディーンさんの部屋(玄関の左側の10畳程の大きさはある)これが今日から僕のレッスン場である。
早速バンジョーをとり出して弾いてみた。ミセス・ディーンは大喜びで、もっと大きな音で思いきり弾けと云うので、シドニーで習った「世界は日の出を待っている」をかきならした。今まで静かだったこの家からいきなりハデな音が陽気に奏でたものだから近所の人達が何事かと次々にやってきて朝っぱらから上を下への大騒ぎ、昨夜の疲れもどこへやら、何しろ手を休ませてくれない。いつしか唄も大合唱になり止むに止まれずあの時ほどまいった事はなかった。ディーンさんは急にその夜に日本に帰ると云うので、今日中にあちこちと回らなくてはと、もう大変、早速昼から、バンジョーの先生、Mr.
Backovich宅へ。スタジオには無数のロングネックのバンジョーがおいてあったが、どれも赤や青などの宝石をちりばめ、キラキラと光り輝くそれは正に装飾品としか思えない。全部その先生の手作りときいてこりゃまたビックリ! この先生はいったい何の先生かディーンさんとよくあの時は目配せし合ったっけ。ところがよく見ると5弦ではなく4弦で、かと云ってテナーバンジョーではない。きいてみるとプレクトラムバンジョーで(チューニングはD.
B. G. C. )ピックでひく、スタンダードやジャズ等に適したどちらかと云うとテナーバンジョーに似た奏法である。スリーフィンガー奏法を求めていた僕としては一瞬がっくりときた。
やっとのことで探し求めたものが、それを手にして違っていたら誰だって。あの時のショックは正に晴天ヘキレキの思いだった。
何しろバンジョーの先生が僕の習得したいスタイルとは大分違うのでもうガッカリ、そのショックのためか、夜もろくろく眠れず本当にまいった。ミセス・ディーンも落着かずテレフォンブックを調べて、片っ端から、楽器店、レコード店、音楽に関係ある処に問い合わせたりして、それはもう一生懸命! その甲斐あってかやっと一ヶ所、それらしい処がみつかった。もう嬉しくって二人で握手してからビールで乾杯・・・・・・はしたもののまだはっきり先生が見つかったわけではないのに、でもあの時はワラでもつかみたい気持ちだっただけに、大学受験に合格したような雰囲気だった。翌朝早速二人でシアトル・ユニバーシティ通りにある「FOLKS
LOVE MUSIC CENTER」なる古ぼけた小さな楽器店を訪ねた。そこにはカントリーのレコードが沢山あって、どれもこれも欲しいものばかり、10数枚特に選んで購入する。その店の主人はロシア系の米国人、彫刻を思わせる顔形は一寸取っ付きにくい印象だったが、僕が日本からそれもわざわざ遠回りしてオーストラリア経由で来たとあってとても愛想よく、かつ親切に応対してくれた。そして奥から古い住所録らしきものを取り出してNASHとWHEELERの2人のバンジョープレーヤーのアドレスを教えてくれた。ここで又ミセスディーンは「ヨシ! ユーはラッキーボーイ」と固い握手、店の主人も心から喜んで「暇をみて時々顔を見せてくれ、そしてバンジョーをきかせてくれ、楽しみにしているよ」と励ましの言葉をかけてくれた。
帰りのバスの中で、やはりアメリカに来てよかったと一人うきうきしていると、「ヨシ、アレを見なさい」と指差す方を見ると、雄大なMt. RAINIER(レーニア山)が雪に覆われ美しく聳え立っている。標高4,392m、その容姿は富士山(3,776m)を一寸太らせた感じで、富士が女性的ならレーニアは男性的である。在留日本人の間ではタコマ富士の名で知られているそうだ。
....つづく
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