エッセイ「閑土里西部譚 バンジョー片手に」 Vol.14
#201, Donna, Drive, Madison, Tennessee, U.S.A. これがアール・スクラッグス氏の住所である。ナッシュビルの町から少し郊外に出た、住む家もまばらなグリーングラスの匂い漂うレンガ造りの細長い平屋の家がそれだ。飾りけなく張り巡らされた垣根がカントリーらしく印象的だった。テネシー州周辺は、草原、森林が多く、ニューヨーク、東京などの大都市に比べたら本当に緑が沢山ある。だから牛や馬が多くあちらこちらに見られる。色で言うならテネシー州はミドリ色だ。そのミドリが太陽によって時にはブルーになる。“ブルーグラス”と呼ばれるのもそれ故だと思う。
アール・スクラッグスには3人の男の子供がいる。長男のゲイリー(Gary)11才、ランディ(Randy)7才、スティーブ(Steve)2才である。ゲイリーはスラっとした、なかなかのスマートボーイで、トランペットを習っている。恥ずかしがる年頃のせいかあまり顔を出さない。その逆にランディの方は僕によくなついて来るので、トランジスターラジオをあげたら飛び上がって喜んで、ピーピーガーガーいじくり回して、うるさくて参った。
こけし人形、扇子、オモチャなど日本のオリジナリティの品々を手にして、その珍しさに驚いていた。末っ子のスティーブはヨチヨチ歩きの赤ん坊。目がパッチリとして、カールした髪が何とも可愛く、カメラのシャッターにビクともせず、素直にポーズをとっては皆を笑わせていた。スクラッグス氏はあまりものを言わぬ優しいお父さんといった感じだが、奥さんはさすがマネジャーだけあってベスパーさんと言葉のとぎける間もなく話し合っていた。
Lester F1att & Earl Scruggs and The Foggy Mountain Boysと大きく書いてある、グレイ・ハウンドバス(アメリカ大陸を縦断する特急バス)を改造したバスには、マーサ・ホワイト・フラワー・ミルス(過去7年にわたってスポンサーとしてきたアメリカのうどん粉屋さん)のコマーシャルも抜け目なく入り、宣伝カーとしても、立派なものである。バスの中にはベッドが8つもあり、しかもトイレ付きときている。この素晴らしい大型バスにベスパーさんと一緒に同乗して、彼等の演奏旅行に出掛ける事になった。行先はケンタッキー州のウェスト・ポイント。距離にして約160マイル、夢に見たレスター・フラットとアール・スクラッグス並びにフォギー・マウンテン・ボーイズの面々。僕にとってもちろん初めての経験だし、何しろ嬉しさで胸がいっぱい。この旅行は短時間ではあったが、僕の興奮状態は、徐々に収まりバンドの連中とすっかり打ち解けて鼻歌まじりに唄う僕にフィドル、ドブロ、フロアギターを出して伴奏してくれた。高らかに笑い唄うこの最高の雰囲気、「本場はいいなあ」とつくづく思った。
運ちゃんは元グレイ・ハウンドにいただけあってさすがプロだ。3時間余りで目的地に着いた。大した設備もないガランとした体育館だった。運ちゃんは受付でチケット売りに早変わり、バンドボーイなんていない。楽器は各自で運ぶ(レスターとアールを除く)、と言ってもアンプ類はないので楽なものだ。
7:30ショウが始まった。BassのCousin Joke, ドブロのUnc1e Joshの二人は大変なコメディアンで面白く、さんざんお客を笑わせていた。アールのバンジョーソロが始まると大喝采、こっちまでジーンとくる。休憩なしの1時間15分ほどで終った。興奮覚めやらぬうちに我々は夜中の12時近くナッシュビルに。その夜はスクラッグス宅に泊まる。
....つづく
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