エッセイ「閑土里西部譚 バンジョー片手に」 Vol.7

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オーストラリアとハワイで、運転免許を取得、
オースティンのスポーツカーでいつもゴキゲン!
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オアシスのショーを始めて1週間も過ぎた頃、TVチャンネル2のジャパニーズハイヌーンショウ(毎週日曜日)の出演が決まり喜んだのはいいが、パチャコさんに日曜となると10時にたたき起こされるのがつらくってまいったものです。前の日が土曜でいつもよりねるのが遅いし、4時間足らずで起きなくてはならないので、ねむいの何のってTVが終ってから再び寝ると云う、せっかくの日曜が寝てようびになってしまった。スタジオは2つしかなく、だからリハーサルなんて全くない。「番がきたらこの位置で歌って下さい」と曲の秒数も計らず、時間がのびたら次の番組遅らせてやるといった具合、どうものんびりすぎてそのテンポに合せるのがやりきれなかったです。でも今考えると、日本のTVのディレクターが、この曲は2分30秒で、次のは2分でお願いしますと決められてしまうと、テンポを早くしたり、間奏をなくしたり、3コーラスある曲を2コーラスと短くしたり、リピートなしで終ったりではせっかくの曲が駄目になってしまう。せせっこましく、キリッキリッと時計をみながらやるよりよっぽど呑気でよかったなあーとあの頃が思い浮んできます。
日本に駐留している米軍ハウスに時々遊びに出掛けるがTVの野球中継で9回の裏、逆点ランナーが出て試含も最高潮、さあこれからと云う時に残念ながら時間ですのでこの辺で中継を終らせていただきます・・・・・・画面がすうっと消えてゆく、そんな時彼等は顔を真赤にして大声で「ガッデム(こんちきしょうめ)」バカタレとわめき散らす。

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新聞の切り抜きです。
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途中で止めるなら、はじめから放送なんかするなと云いたいのだろう。アメリカでは最後迄放送するのがあたりまえだそうだ。だから番組がどんどんずれてしまって、夜見たい番組のスイッチを入れたら1時間前のをまだやってたりする、僕もそれで面喰らった事がある。時間にきっちりしている日本人には、とうてい考えられないでしょうね。
2月13日、ハワイアン・ビレッヂの近くにある、カイザー・ドーム(KAISER
DOME)に於いて、”ROCK & ROLL HOP” と云うタイトルで僕のショーが催される事になった。ポスターには大きく、Japan's
Elvis Pres1ey YOSHIO ONO ''Rock & Roll Singing & Yodeling Star''
と書かれ、そして ''Hawaii’s Top Rock & Roller DAVE EDWARDS、その他にThe Stpays、The
Lri-lites、Rock-a-fe1lers、Evangeline Brown・・・・・・etc.。8つの人気グループの出演である。その日のためのリハーサルが一週間前から毎日、午後から夕方迄、休みの日でも泳ぎにもいけない。何しろ出演バンドが多いので、その時間割、選曲に苦労した。当日は昼からリハーサル、会場は4、5千人はゆうに入る大ホールである。音響装置は余りよくないが、ヨーデルには天井のハネ返りがこだまして、かえって調子にのりゴキゲンだった。ベスパーさんから送られてきた僕のブロマイドが何と4,000枚、英語と漢字で一枚一枚サインするのが、これ又一仕事、こればかりは人に手伝ってもらうわけにもいかず、朝起きてから寝る迄の間、それこそ食前、食後、ショーの合間にと書き続けた。指はタコで痛くなる、だるくて、感覚はなくなるし、本当にあの時はつかれたびー!
ハワイのバンドのグループは、アメリカ、フィリピン、中国、ポルトガル、ハワイ日系人そしてハーフなど国際色豊かである。久しぶりのコンサート、TV、ラジオの大宣伝のお蔭で、音出しの6時には満員になり、ショーは予定通りスタートした。僕は8時半から30分間
Send me some loving、On1y you、Little Daring等10曲、アンコールではオーストラリアのWaltzing
Matilda、ヨーデルメドレーと大熱演、ショーの後はダンスタイム、若者たちはロックのリズムに夜遅く迄踊り狂っていた。
....つづく
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